嶺上開花マスターのくろもちです。

咲日和も無事掲載されておりましたので
早速こちらの◯◯女子一覧に追加してありますよーぅ。


今回のコマ割りについて


さて、シノハユのはやりの巻は
1話毎でみると大きくお話は動きませんので
前回は漫画のコマや表現手法的な部分に注目してみましたが
今回もまずは同様の方向で考えてみたいと思います。


前回と今回の大きな違い



冒頭ライブ終わりの断ち切り見開き。
それ以降今回は断ち切りはありません。

特にその直後
断ち切りを使わない見開きページを使用した表現は
より、はやちゃんの心情
内側へのベクトルを強調した表現
と考えられそうですかね。

今回はそのまま内側ベクトルで
お話は進行し続けました。

前回指摘した連続コマについては
今回はも2箇所ほど使われてましたね。

特に上述見開きのp.354~からの連続コマは
これも前回指摘したものと逆の手法が使われており

左下見開き→次頁上部通常コマ

とすることで、読者の読むスピートを調整する効果は同様ですが
今回は次頁へのスピードは加速、上部コマで停滞
という調整ですね。

これまでの作風からすれば、このp.356も連続コマ
もしくは見開きで表現していた部分だと思われます。

p.365の入浴シーンでも連続表現はされておりますが
その内面は描かれませんでした。
今回はページ数が少なめでしたが
通常ページ数であれば
ここの次のシーンが追加されていそうな部分でしたね。


外面から内面へ



さて、そういった部分で考えると
前回関東への少冒険、まふふライブ、と
見開き、断ち切りを使用したはやちゃんの心情の広がりが強調されてましたが
今回はそれを否定するように
扉絵から通常コマで登場人物を区切り
全体的に世界に広がりを持たせないような
不安を煽るコマ構成になっておりました。

落差


また今回注目するべきは、その落差かなあと思いました。


ただいまとおかえり



横浜では幸せそうな白築母娘とニアミスし
帰宅時にははやりママと団欒し。

そういえば、咲-Saki-で
ただいま、おかえり
という台詞非常にレアですね。

帰宅してただいま
おかあさんがおかえり
なんとなく日常に当然のようなこのやりとりは
その実とても大切なものですよね。

そういえば、この言葉がとてもすばらな言葉だ!というのも
前回感想記事で引き合いにだした作家さんの名作
漂流教室でもありましたね。

7人の悪魔超人編でのテリーマンにも
そんなシーンがありましたか。

ちゃんと調べないと分かりませんが
松実姉妹、日和お買い物の池田、控室の絹ちゃん
とかでしょうかね?おかえり、って使ったのは。

あとは、いってきます、いってらっしゃい
も大切ですよね。
この辺り、一旦調べてみましょうかね。


咲-Saki-における大人としてのキャラクター



また、まふふの心情ですよね。

これまでの咲-Saki-世界の大人達は
どこか超然としていて
メインで活躍している夏の高校生とは一線を画した存在として
描かれてきましたよね。

従ってわたしはまふふについても
自分の闘病に対して、超然とした態度で接している
と決めつけていたのです。

が、今回のラスト。
自分の死が怖いと弱音を見せたまふふの
これまでの咲-Saki-に出てきた大人たちとの落差は
結構ショッキングだったのではないでしょうか。

そしてこの時点で小学2年生のはやちゃんに
その心情を告白してしまうのは
かなり異質ですよね。

自分のひた隠しにしている心情を
他人に告白する、ということで考えれば
本編において宮永照が大星淡に
宮永咲が自分の妹である、と告白したシーンと
ある程度対比としてとらえらえますでしょうか。

後の牌のお姉さん瑞原はやりの魅力の発露
と捉えることもできるかもしれません。
瑞原はやりであるからこそ、春日井真深は告白した
と捉えることもできるかもしれません。


ですが、彼女はまだ小学2年生なのです。


まふふ自身もゴメン、と言っていることから
これが小学低学年児童に
どのような影響があるのかも
彼女自身分かっているような表現もあります。

しかし、その後弱音を見せ、涙を流してしまった。

このまふふの行動は
かなりチョンボだったのではないか
と、現時点でわたしは思ってしまっております。

とはいえ、それはわたしが前述のような
咲-Saki-の大人たちに対して
ある種の決め付けをしていたための勝手な感想です。

そうではない、と叩きつけられた今回のお話でした。

超人から常人へと変身したまふふを見て
はやちゃんはどのように進むのでしょう。

おそらく来月最終回であろう
はやりの巻をいまから楽しみにしたいと思います。

今回は以上!


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